2015年07月

ミステリーとも思えるくらい不思議。携帯が見つからない。家を出る直前までテーブルの上にあった。

散歩に持って出たとしても、ないとすぐに気づいた。持って出たとしても、手に持っていたかポケットに入れていたかのどちらかだけど、ポケットに入れた記憶はない。

目には見えないエネルギーは存在するにもかかわらず、それを試したからいけなかったのか。或いはそろそろスマートフォンにかえなさい、ということなのか。

どちらにしても頭が呆けているのが情けない。


もう、ツクツクボウシが鳴いている。4~5日前にも鳴いていて、今年は早いなと思っていた。いつもはお盆過ぎに鳴いていたような気がする。

とても暑い。今6時前で、家の中でもまだ33度ある。

朝は6時頃からくまぜみがすごい。耳鳴りがしているのかとおもうほどだ。

黄色い蝶を求めて、朝、散歩に出た。朝散歩に出るのは初めてなのではないかと思う。6:40頃家を出た。お遍路の時と同じくらいの時間だ。曇っているので歩きやすい。

歩き始めて5分くらい経った時、色の薄くなったアゲハチョウがやってきてぐるぐる目の前をまわった。老骨にむち打って出てきてくれた感じだ。私の思っている黄蝶ではないが、くろい縞の模様がある黄色い蝶と思えば黄蝶といえなくもない。

川沿いを歩いていたら、黒のアゲハチョウがいっぱいいた。本には紫の蝶でもいいとあったので、まあこれでもいいかな。

昨日開きかけてはいたが咲いてはいなかった宵待ち草がいっぱいに花開いていた。とてもきれいな黄色の花で黄蝶が乱舞しているように見えなくはない。

とんぼもいっぱい見た。うす赤いものや、黒い羽が大きいもの、大きなもの、しおからとんぼ、など。

蓮の花もピンクにきれいに開いていた。

きょろきょろ自然を観察しながら歩くのは楽しい。犬を散歩している人や中学生に挨拶したりして何だかお遍路で歩いている気持ちになった。この道は太山寺に行く遍路道でもあるので、道標もいくつか見た。

実際男性の二人連れのお遍路さんを見かけた。

家の近くできれいな紫の花にきているアゲハチョウを見かけた。

家に帰ったら、完璧といえるくらいきれいな大きなアゲハチョウが静かに羽を広げて紫蘇の葉っぱに止まっていた。

そうだやはり黄色い蝶というのはアゲハチョウでいいのだ。私の黄蝶はあいちゃんなのでいっしょにしてはだめだよね。

45分の散歩。今度は朝の散歩もいいな。

何で写真が1枚もないのかって?携帯が昨日から見つからないのだ。昨日、出かける時、携帯を持って出よう思っていたのは覚えているのだけど、持って出てなかった。すぐに忘れたことに気づいたのだけど、家に置いてきたと思っていた。

ところが家に帰って探してみたけど見つからない。たまたま電池を出し入れしたためか掛けても鳴らない。

朝も相当探したけどない。今まで携帯が見つからないということ自体もあまりない。天使さんに見つかるようお願いしたのだけれど、見つかるといいな。


今度はまさに黄色い蝶々を求めて夕飯後、散歩に出た。

歩いて5分も経たないうちに、昨日探した「黄色い車」があった。まさにまっ黄色のスポーツタイプの車が駐車してあった。昨日この道を通ればすぐに見つかっていたかもしれない。

川沿いの草の多い、遍路道を通ってみたが、トンボはいっぱいいたが蝶々は見つからなかった。

朝方、黄色ではないが、オレンジ色の、きっと「ガ」を庭で見かけたので、あれを黄色い蝶々にしてもいいのだけどまずいかな。

この川沿いの道を歩くのは久しぶりだ。黄色い、オシロイバナ、宵待ち草がきれいだった。ヒメジョーンの花がかわいかったので摘んで帰った。

ため池には鯉や亀がいた。蓮の花もおおきなつぼみをつけていた。この蓮の花には娘との思い出がある。娘は蓮の花が好きで摘んで家に持って帰ったことがあった。

黄色い蝶は見つからなかったが、とてもいい散歩になった。

24時間以内ということは明日の朝9時頃までなので明日朝早くまたここに来てみようかな。


24時間以内に「黄色い車」を見つけるというもの。

今日は1歩も外に出ていないので、黄色い車を見つけるため、夕飯後、散歩に出かけた。

1時間の間に、クリーム色とオレンジ色の車を見かけた。もう1台は黄色だと思うが薄暗くなっていたので、はっきりしない。でも一応見つけたことにしよう。

本を少し読み進めてみたが、欲しいもの、出来事は一応あくまで実験のようだ。

自分が何が欲しいのか、どうなりたいのか、どう生きたいのか、を探す、ということなのだろうか。

かつて、子どもを亡くしたことで生きることが苦しかった。だめだった自分を責めて、自分が楽になり幸せになるなどということはありえなかった。むしろ罪悪感さえ感じた。前向きに生きるということなど不可能に思えた。唯一「だめでいい」と言われた時にのみ救われた。

でもそういうネガティブな思いは苦しい。ずっと、根拠のない不安感、虚無感、いわゆる「うつ」に悩まされていた。

お遍路にでかけるようになって少しずつ元気になっていった。最近になってやっと元気になりたい、幸せになってもいいのだと思えるようになってきた。というより苦しさからとにかく逃れたい、楽になりたい、というのが正直なところだ。ここまでに10年かかった。

「過去」は変えられない、ということは分かっていてもなかなか受け入れるのは難しい。でも少しずつではあるが受け入れられてきていると思う。

「今、ここ」に居ようとすることで心の安定を得ている。それで精一杯で、これからどうなりたいのかというのは分からない。今はそれで十分だ。

目には見えないエネルギーというものは確かに存在すると思う。なりたい自分というより、そういう目には見えない何かにゆだねて、結果、心の安定が得られればいいなと思う。

朝晩の瞑想は何とか続けている。10分~20分くらいではあるが、「無」になる練習をしている。確かに心身に効いているような気がする。


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