2014年03月

 
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さくらはやっぱり青空の中でこそ映える。今年の家のさくらは例年より随分早い。いつもは他所のさくらが散りかけた頃に満開になる。
 
父の危篤の知らせに駆けつけたのが26日。その日、2~3輪のさくらの花を確認した。その日、父は私を待っていてくれたかのように息を引きとった。28日夜、葬儀が終わって家に帰った。翌日、29日の朝、庭を見て桜が満開になっているのに驚いた。きっと28日とても天気がよかったので一挙に咲いたのだと思うが、やはり天の采配だとしか思えない。
 
父が亡くなって悲しいとあまり思わないのがちょっとおかしいのかなと思っていたが、高校野球が始まって、野球の好きだった父を思うとやはり寂しい。これから折りにつけ父のことを思って寂しいと感じるのだろう。
 
昨日、ぼんやりした頭で、何もすることがないと思い、「そうだ、お遍路に行こう!」と決めた。夫も父の供養になると賛成してくれた。今年の春はもう行けないだろうとあきらめていた。
 
そしてどんよりとした天気の中で何もする気がせず、かといって疲れた感じでもなく日がな一日中ひとりでパソコンと地図を見ながらお遍路の計画を立てていた。
 
そして今日、とても良い天気。気がつくといっぱいすることがある。シンガポールから持って帰ったものや喪服などの片付け。山ほどの洗濯、掃除。叔母のところにも行かなくてはいけない。そしてお遍路の仕度。ここでパソコンに向かっている場合じゃない。でもボチボチといきますか。
 
 
 
 

 
今日は曇り空。3日前に2~3輪だけ咲いていた庭の桜が今日見たら満開になっていて一瞬目を疑った。この頃自分の置かれた状況がめまぐるしくてそれでなくても呆けた頭がボーっとしている。今日はゆっくりしようとブログを書いてみる気になった。
ブログ自体何日ぶりに書くだろう。「暇」からくる軽い心身症とうつはシンガポールに行くことで解消した?
 
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父がもう長くないことが分かっていたが、シンガポール行きを決行した。娘一家の引越しがあり、シンガポール行きは決まっていた。7ヶ月の赤ちゃんがいて7歳の子の春休みがあって、こんな時くらいは手伝いに行ってやりたい。父の様態で危篤で帰るか、亡くなって急遽帰るかのどちらかになるだろうとは予想できていた。
 
18日夜松山を発ち、羽田経由で19日早朝にシンガポールに着いた。朝9時には引越し業者がパッキングを始めて夕方までかかった。夜飛行機の中だったのでほとんど眠れてないのでフラフラだ。
 
翌日20日が引越し。9時から荷物の積み込みと搬送。私たちは新しいコンドーへ移動。荷物が運ばれてきてからが大変だった。どの部屋に運ぶかは一応決まっていたものの分からないものもあって娘はその対応に追われる。アンパッキングが始まっても適当にしか入れてくれないのは仕方ない。すべては終わらない。めちゃくちゃだ。業者が帰って、残された散乱した荷物を見て娘も私も気分が悪くなって倒れそうだった。
 
翌日21日、お手伝いの人が来てくれて台所の物などを一応収納してくれたが、とにかく収めた状態であちこちにいろいろな物が入っている。でも山積みのダンボールがなくなって、掃除もしてくれて見違えるほどきれいになった。それまで素足の足の裏はゴミとほこりを吸着して真っ黒になっていた。
 
22日、父を看てくれていた義妹から、取り合えず点滴を1本入れてもらったが、これ以上長引かせると父が苦しむだけだという連絡があった。父には延命措置を取らないでできるだけ苦しまないように、ということになっていた。
 
23日、やっぱり父を看取ろうと帰ることにして、25日夜出発、26日朝松山着のチケットを取った。娘のところも1日でも長く居てやりたいが、しかたない。7ヶ月の赤ちゃんの面倒をベビーシッターに頼むようにと強く言い聞かせた。シンガポールでは車が持ちにくいのですべてタクシーでの移動だ。幼稚園の子は3月いっぱいは元の幼稚園に行くので、タクシーーでの送り迎えが必要だ。4月からは新しい幼稚園に変わるので、コンドーのすぐ下までスクールバスがきてくれる。月曜からは7歳の子の水泳教室などの送り迎えも始まる。
 
後2日居てやれるので、その間、赤ちゃんの面倒と片付け、家事に追われた。赤ちゃんとはいえ、起きている時は上手に腹ばいで這っていって動き回る。油断していたら何でも口にする。機嫌はいいが、下痢が続いている。
 
25日、午後10時半の便で日本へ。羽田で乗り換えて家には翌朝10時に着いた。すぐに、喪服の用意などをして車で広島の父のところへ急いだ。
 
26日、4時頃父のところに着いた。父は苦しそうな息をしていたがしっかりと意識があり分かってくれた。夜は私が付き添うことに決めてベッドなどをいれてもらっていた。義妹は父が寝付いたら帰ると言って、私と義妹が父の手を握っていたとき、急に宙を見据えて何かしばらく言ったと思ったら静かな息をしてそれこそ眠るように息を引き取った。楽になってだんだんに穏やかな顔になり本当にきれいな幸せそうな顔になっていった。何もかもから開放されて仏様のような顔になっていった。嬉しそうな顔にさえみえた。母やそれまでに亡くなった人たちと邂逅して極楽浄土に行ったのだと思う。父は死に様を見せてくれた。
 
父は私を待っていてくれたかのように息を引き取り、私は父を見送ることができた。
シンガポールに行っている間に、急に亡くなることもあるかもしれないと覚悟していたがやっぱり死に目にあえてよかった。
 
27日通夜、28日葬儀。斎場に行く道は桜が満開だった。父の家に祭壇を作ってもらい父が家に帰って来たのを見届けて、その日のうちに松山に帰ってきた。父も2年ぶりに自分の我が家に帰ってきて母といっしょにゆっくりとくつろいで過ごしているだろうか。母が亡くなって丁度10年、何もできなかった父が一人でよくがんばったものだと思う。いろいろとありがとうございました。お疲れ様でした。
 
そして今日。改めて庭を見ると桜が咲きチューリップが咲いていて春がきている。これからボチボチ片付けていこう。シンガポールには4月8日までいることになっていたのでそれまで何の予定も入れていない。取りあえず洗濯物を干しにいかなくちゃ。
 
 
 
 
 
 

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