2013年08月

夕方、庭の桜の木でつくつくぼうしが鳴いていた。
 
「じ~じ~、、、、」助走が長い。しばらくして「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ、、、」
やっぱりつくつくぼうしだ。夏の終わりが近づいた。
 
どうして虫は季節が分かるのだろう。花もどうやって季節を認識するのだろう。
季節がちゃ~んと分かっている。
 
今、秋の虫の声がしきり。「ちんちんちん、、、」「ぎーぎーぎー、、、」「ひょ~ろひょ~ろ、、、」
 
夕食後歩きに行ったが、雨も降ったせいか少し涼しかった。
明日から9月。日中はまだまだ暑いだろうけれども、確実に秋は近づいている。
 
季節の移ろいが感じられる日本っていいなと改めて感じるこの頃。

 
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今日は曇っていたので朝2時間ほど庭のミニ菜園の草引きをした。雑草がすごいことになっている。汗びっしょりかいた。
 
蚊からの防御のため、長袖のシャツに、長ズボン、首にタオルを巻いて、アロマオイルで作った虫除けスプレーをして、腰に蚊取り線香をぶらさげる。
 
草取りはきらいではない。土をいじっていると何だか落ち着くし、汗をかいた後シャワーをするとすっきりする。草をとったあとはきれいになっていて気持ちがいい。
 
雨が降り始めたので、まだまだ残っているけど、次回にまわすことにした。
 
何とか生き残ったゴーヤとピーマンに油粕もやっておいた。まだ生るかな?
 
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留守をしている間に、ピーマンは赤くなってなっていた。でも充分食べられる。
 
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ゴーヤは夫が黄色くなったものもいっしょに収穫して冷蔵庫に入れておいてくれた。
ミニトマトも結構収穫できたらしい。
 
4本植えたブルーベリーのうち1本は枯れていた。残りの3本も雑草に埋もれていた。
 
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シンガポールから帰って約一週間。この夏、日本は異常なほど暑いと聞いて覚悟していたが、雨も降ったせいか、朝晩涼しくてしのぎやすく、助かる。
 
いつもなら梅雨明けの頃、雨上がりに咲くゼフィランサスが、この雨で一挙に咲いた。暑い日差しの中、がんばって咲いている。
 
叔母のことを一人で見ていてくれた夫に代わって、今度は私が引き受けていく。
今朝から、認知症気味の叔母から同じことで、三度も電話がかかってくる。
 
これから老人ホームにいる叔母のところに行ってくる。近いので助かるがやっぱり大変。暇で余計なことを考えるよりはマシ?

叔母は、多少の認知症があるものの今近くの老人ホームで元気に暮らしている。
 
シンガポールに行く前のことなのでもう細かいことは忘れてしまったが、やはり、日本に帰ってきた顛末を書いておこうと思う。
 
叔母は3度目にしてやっと日本に帰ることができた。
 
叔母は5月19日夜に手術を受け、翌日私たちは叔母の顔を見て、カナダを後にした。
 
叔母の術後がよければ3週間後に再度迎えに行き、そうでなければ、シンガポールから帰ってから9月頃にカナダの老人ホームにいるであろう叔母を迎えにいくことになるだろうと、その時はまだどうなるか分からなかった。
 
日本に帰ってから、ケビンの奥さんのなおこさんから毎日のように報告があった。
仕事からの帰り、毎日のように叔母の病院に寄ってくださったのだ。
 
スカイプをすることが多かった。びっくりするほどの回復力でドクターが"She's amazing ! " と言ってくれたほどだという。
 
迎えにいくことに決め、日程をたてた。6月13日に日本を発、19日にカナダを出発し、20日、羽田まで帰り、羽田に1泊して翌日21日、松山に帰りそのまま病院に直行し、入院する、と決めた。
 
21日だと手術をして約1ヶ月経っているので、飛行機の旅も何とかできるだろう、と予測した。シンガポールに行くまでに、19日間あるので、それまでに何とか老人ホームに入ってもらい、少し様子を見ておけるだろう。
 
前回と同じように、入院予約、航空券の予約、老人ホームのことなど、準備をした。
叔母の航空券はケビンが自分のポイントが使えると言って、叔母にはシートがフルフラットになる、本来ならばとても高いエグゼクティブシートを手に入れてくれた。
 
老人ホームについてはケアマネージャーのOさんがとても親切にいろいろ教えてくださって、とても助かった。
 
二重国籍の問題に関しては、少し不安もあった。
 
こうして夫と私は6月13日、叔母を迎えるべく出発した。今度こそ連れて帰れますようにと。不可能と思えたことが実現しそうである。私たちにとっては一大プロジェクトであり、夫なしでは到底なしえないことである。夫が連れて帰ってあげようと言ってくれて主導してくれた。私はあくまで補佐しただけだ。
 
カルガリー空港からはタクシーで行った。今回も、心配していただかないよう伝えていたのだが、アランの奥さん、ゆかさんがお昼ごはんを用意してくださっていた。
 
早速、叔母の病院に行った。なおこさんが言っていたとおり、叔母は見違える程
元気になっていた。大きかったお腹はへこんでいて、パンパンに腫れていた脚もすっかり細くなり、ベッドから起き上がり、スタスタと歩いた。食欲もあるという。
 
翌日から、叔母に外出してもらい、日本に持って帰りたいものを選んでもらった。
取りあえず、夏服を持って帰り、他のものは後から送ってもらうことにした。
基本的には叔母は何も要らないと言った。
 
私たちはやはり、アルバム、ジュエリー、思い出の品などを選んで後から送ってもらうようにした。
 
叔母が帰ることを知った日本人会のお友達が会いに来てくださったり、食事会を開いてくださったりした。家に呼んで、手作りの料理でもてなしてくださった。特に親身にしてくれたOファミリーの皆さんは、15日は叔母の誕生日でもあり、大きな花束とケーキを用意してくださっていた。叔母が日本に帰る事を皆さんが喜んでくださった。やはり身寄りのない叔母のことを心配してくださっていたのだ。
 
日本に帰る日、アランが病院まで迎えにきてくれて一度家に帰り、それから、お友達のロンが空港まで送ってくれた。ゆかさんもさとみさんといっしょに空港まで見送ってくれた。
 
叔母も何とか耐えてくれたが、やはり入院生活の長かった叔母には、飛行機の長旅はしんどかったようだ。
 
成田に着いたら、車椅子を用意してもらっていて係りの人に車椅子を押してもらって、そのまま入国審査もすんなり通れた。少しドキドキした。
 
ずっと車椅子の移動だったが、最後、成田から羽田までのバスでは座っているのが辛そうであった。
 
ホテルでは、夜も、息が苦しそうで心配した。叔母自身は大丈夫とは言ったが、持病のゼンソクが出たのか、心臓の発作なのか、よくわからないまま不安な一夜を過ごした。
 
朝、起き上がったら、元気そうなので安心した。こうして無事松山までたどり着き、タクシーで家まで帰り、荷物を置いて、叔母にはそのまま家の車に乗ってもらい病院に行った。
 
1時の診察で、先生に診てもらった時には本当にほっとした。予定通り、そのまま入院となった。一週間の検査入院だ。
 
翌日、ケアーマネージャーのOさんが来てくださり、叔母の退院後に入る老人ホームについて相談した。最初は取り合えず、ロングのショートステイに入っていて、私がシンガポールから帰ってきてゆっくり決めようと言ってていたが、もうすぐに決めてしまおうということにした。
 
早速、いくつか候補になっているところに再度見学に行き、一番近くてよさそうなところに決めて、すぐに契約ということになった。一週間後、退院してすぐに入居できることになった。
 
家具やテレビ、冷蔵庫、ふとんなどを購入した。たんすにはもって帰った服などを入れた。観葉植物、花なども置いて、1日前には結構素敵な部屋になった。
 
こうして28日、無事、入居となった。シンガポール出発まで、あと11日、毎日叔母の
ところに行って様子を見に行った。ギリギリ間に合った。
 
シンガポールに行った後は夫に託したが、夫は毎日行ってくれて本当によく叔母の面倒を見てくれた。
 

あいちゃん、このうちへ帰ってきたよ。
 
なんかぼけちゃったのかな。時々、台所で、「あれ~?」って思うことがあったりしてね。シンガポールでは毎日毎日、買い物に行ってご飯を作ってい、日本に帰ってきて。何十年もこの台所に立ってきたのにね。
 
シンガポールでは冷蔵庫が小さくて、食器も食料も最初はどこに何があるか分からなくて、慣れるのに大変だったけどね。
 
40日も留守にしていたので、それなりに家がね、やっぱり。お父さんなりにがんばってくれてたんだけど。帰ってすぐに片付けと掃除を始めたよ。翌日は庭の掃除におわれた。
 
昨日は何もする気がおきなくて、ずーっと、ぼーっとしてたよ。疲れが出てきたのかな。カレンダーには何も予定もないし、、、。しなければいけないこともない、、。
 
あいちゃんがいたらって、何度かおねえちゃんとも話したんだけどね。
きっと、あいちゃんも、できるものなら、生きていたかったよね。
 
でも、あいちゃんは、おねえちゃんの中にも、お父さんの中にも、みんなの中にいるからね。
 
これから、おかあさんも、おかあさんなりに生きていくよ。あいちゃん、見守っていてね。いつもいっしょだよ。あいちゃんの気持ち、大事に受け取っていくよ。
 
きっと、会える。いつか必ず会える。それまで、がんばるよ。
「おかあさん、がんばったね。」って言ってもらえるようにね。
 
でも、会いたい。あいちゃんを抱きしめたい。最後に会ってから、もうすぐ8年だね。

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