2016年04月

お遍路から帰った翌日、家まで泊まりに来てくれたOくんのことをやっぱり書いておきたい。

前日、「もしよかったら連絡してね。」と連絡先を渡しておいたが、連絡があったのは丁度、私がある会合のあった駐車場から出ようとした時だった。今、西林寺の杖ヶ淵にいるという。今日、泊めてあげたい。

でも、翌日には叔母のお葬式で、ほぼ広島に行くことが、急遽決まっていた。どうすればいいのだ?また連絡するからと、取りあえず、電話を切り、家に帰った。

西林寺から家は結構遠い。家に帰って夫に相談しようと思っていたのに、夫は家に携帯を置いたまま外出している。夫がいたらすぐに車で迎えに行ってくれただろう。

で、彼は結局、電車を乗り継いで、最寄の駅まで来てくれてた。そこまでは迎えにいけた。彼はもう夕食まで買っていて、取りあえず連絡をしてくれただけかもしれないのに、電車賃まで使って家に来てくれた。知らない人の家に来るのは気も遣うだろうに。

とても素直な気持ちのいい子だった。生き方のようなことは夫も交えて話をしたが、結局彼は最後まで何を生業として生きているかについては話さなかった。「今までしていたことをもう一度してみようかと思っている。」とは言っていた。彼はまだ若くてこれから生きていかなくてはいけない。

翌朝、いっしょに家を出て、駅まで彼を送り、私たちはそのまま広島まで行った。その後、「自転車はありました。」とラインで連絡してくれた。あれから、2週間あまり、まだ元気にお遍路を続けて、四国路を走っているのだろうか。

彼は、家を出る前に、仏壇でお線香をあげて娘のお参りをしてくれた。思ってもいなかったのでびっくりもしたが、嬉しかった。

それから、2~3日経った頃だろうか、車を運転している時に、ふと、あの「懐かしい目」が何だったのか、分かった。あの目は娘の目だったのだと。そう思うと彼のしぐさや行動までもが何となく娘に似ていたような気もしてくる。

彼には、最初に会った時から「何となく懐かしい目をしている。」と言っていたし、それを彼も覚えていて、夫とも話題にした、がその時は分からなかった。

これも娘からのプレゼントだったのかな?



4月8日(金) くもり  約33キロ  (52647歩)

*内子の宿から、鶸田峠を通り、久万高原町までの約33キロを歩く。その日、本当は久万で宿を取りたかったのだが、ラグビーの大会があるとかで、どこも満室で取れなかった。で、丁度、今日が区切り打ちの最終日なので、松山の家に帰ることにした。バスの時間が17:42なのでそれに間に合わせるように、宿を早く出た。

4:30 起床 隣の部屋の人を起こさないように静かに用意をする。灯りももれないように常夜灯のみで支度する。サンドイッチを食べようとして、袋の開け口がよく分からないので、ついに電気を点けた。やはり明るい方がいい。もう5時になっているので許してもらおうとそのまま電気をつけたまま、なるだけ音をたてないようにして食べた。

5:30 出発  玄関のところで、女性の方に初めて会った。多分、お遍路さんだと思うが話す機会がなかった。すぐ側のコンビニでお結びを1個買っておく。

5:35  外はまだ薄暗いが街灯が明るいので大丈夫。すぐに、だんだんに明るくなっていく。散歩中の柴犬くんに挨拶した。

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5:40 道の駅「からり」通過

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6:22 大分、明るくなってきた。ずっと川沿いの国道を行く。うぐいすや小鳥の鳴く声がする。
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6:47 きれいな花の咲いている木が栽培されている。桜とは違う。直にそれは「梨」の花だと分かる。「梨 桃 販売所」の看板があった。

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6:59 無料遍路宿 扉は鍵がかかっていた。

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7:25 国道の擁壁に作られた、このような石仏がずっと続いてあった。そして菜の花のお花やしきびが供えられていた。「二十二番   」とか読めたので写し霊場のようになっているのかもしれない。

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7:31 多分、この先の山の斜面に崖崩れようなものが見えたので、ここで迂回して橋を渡って国道を歩いたと思う。

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7:39 自転車に乗った中学生が挨拶していってくれる。そろそろ学校が始まるころだ。始業式か入学式?

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7:45 崩落箇所?
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8:00 大瀬の館  この手前の橋でまた遍路道に入ることができた。ここにあるトイレをあてにしていたのでよかった。
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8:13 石仏(「いしぼとけさん」と言うとそのおじいさんに聞いた)にお参りしているおじいさんがおられた。

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そのおじいさんが、煙の出ているお線香の束を持って、私の前でぐるぐるまわして何かぶつぶつ呟いておられる。「何と言われたんですか?」と訊くと、「サイナンノガレ~、サイナンノガレ~」(災難逃れ?)「これで、ダンプに当たっても死なんし、岩屋寺から落ちても死なん。」のだそうだ。

おじいさんが子供の頃、お母さんが寝る前に布団の下をこう言いながらおまじないをしてくれたのだそうだ。そういえば、この後何だか元気が出たような気がした。

この後、すっとその石仏さんが続いてあったのでずっとお参りされたのだろうと思う。

8:19再び、国道に出た時に昨夜の宿でいっしょだった男性が少し先を行かれているのが見えた。男性は気付いておられない。彼は宿の朝食を食べて出発していてここで私に追いついて来られたわけだから、やはりかなり速い。昨晩の話で「追いつけるかな?」と言われていた。彼は追いついたのにそれを知っていない。

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9:02 千人宿大師堂 戸が開いたので中を見せてもらった。きれいに畳替えしてあった。
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9:17楽水大師
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9:32 道の反対側にあるこの石仏さんを撮っていた時に、後ろから自転車遍路さん。仏木寺で会った、「懐かしい目」をしたOくんだ。そのあとにも、歩いている時に、追い抜いていく時に手を上げて挨拶してくれた彼だ。

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彼は雨が降ったので内子のキャンプ場で2連泊したらしい。もし私が石仏さんを撮らずにそのまま行っていたら気が付かなかったかもしれない。か、彼もそのまま行ってしまっていただろう。何かの縁を感じて、連絡先を渡しておいた。翌日、西林寺まで来ていると連絡をくれて、泊まりにきてくれた。

9:35 自転車で走り去っていくOくん。

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9:51 突合 鶸田峠は農祖峠よりも7キロ近い。

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10:03 休憩小屋 トイレもシャワーもある。少し休憩していく。

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その休憩小屋は川沿いにあってせせらぎの音が心地いい。小鳥の声もする。曇ってはいるが歩くには暑くなくていい。

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10:30 出発

11:04 うどんやさん、「なみへい」。ゆっくりする時間もないので寄れないと思っていたが、今日は丁度定休日、とある。これであきらめもついた。

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11:53 大宝寺まで17,3キロとある。

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12:03 ここだったと思う。落合トンネルを出たところで、左手から来るお遍路さんがある。ここから4キロの、石手寺の奥の院、石鉄寺に参拝してきたのだそうだ。地図に載っていないのでどうやって知るのかと訊くと、外国人用の英語で書かれたガイドブックを見せてくださった。それには載っているという。

荷物はそこのバス停に置いていったそうで身軽だ。昨夜は「千人宿大師堂」に泊まったそうである。雨で濡れていたので、畳を濡らさないように注意をした、と。基本、野宿。後で、三島神社で会った時、またいろいろお話を聞いた。鶸田峠には右を行く。

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12:30  逆打ちのお遍路さん。 今回3巡目で、初めての逆打ち。区切り打ちで、今回は今治から高知まで。2巡で終わりにしようと思っていたが、「申年の逆打ちの年なのでご利益が何倍もある。」(彼は申年の72歳)と奥様に背中を押されて出てきている、そうだ。「逆は迷わないですか?」の質問に「秘密兵器がある。」とポケットから、下が透明になっている磁石を見せてくださった。これがあれば迷わないそうである。

「今日は「民宿来楽苦」までだからゆっくりでいい。そこは名前に惹かれて予約した。前回、2回は1日30キロくらい歩いていたが、今回は25キロくらいにしてゆっくり歩いている」、と。

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13:00~13:30 三嶋神社でお昼休憩。前の自販機で暖かいコーヒーを買う。

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食べていたら先ほどのお遍路さん。神社にきちんと参拝される。「神社もお参りする。神社の方がむしろいい。」と。「今回6巡目で、別格、番外、奥の院も廻っている。2回、逆打ちをしたことがある。「通し」だけど、西条で結願となる。西条で知り合いの仕事を手伝うことになっている。などいろいろお話を伺った。先に行かれたが、後で、いっしょになったりした。野宿なので荷物がすごい。

13:55 車道と分岐するところ 道が花びらで染まって花のじゅうたんのようになっていた。左の遍路道を行く。

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14:18 舗装道に出て、下坂場に向かうところ。前回、道標を見落として、間違ってしまったが、今回は道標が増えていた。正面にも道標があって、これだったら絶対に間違わない。夫も作ったが、まだ持って行ってない。これだけあったら大丈夫。

    舗装道(林道?)に出る前。ここに何もなかったら左の上りに行ってしまう。4つもあった。
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正面、「右に行く」と、ある。少しだけ下がってから上がる。2つある。
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daboさんの道標 これで完璧
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鶸田峠の通行止め  残念ながら地図が読めない。逆の人に、「通れる」と聞いていたので心配ない。daboさん、情報ありがとうございました。

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14:49 ここだけ、「解除中」が貼ってあったが、あとは「全面通行止」のままだった。
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14:53 大師堂 
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15:00頃 自販機があったところで、そのまま立って5分休憩。  あと久万まで約6,5キロ、バスの時間まで間に合うか?

15:15 休憩所のようなものがあった。そこに丁度それを作られた方がおられた。すぐ下に水を汲むところがあったが、そこの水だと言って、その水を飲ませてくださった。とてもおいしい良い水だそうだ。開創1200年を記念して作ったという大師堂もあった。その上に「囲炉裏」を作っているので是非見ていくように勧めてくださったのだが、バスの時間もあるので次回に、ということにしてもらった。

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15:41 先ほどの野宿の男性 重い荷物を背負っての登りはさぞかしきついことだろうと察する。

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このあたりだったか、男性と話しながら行っていたのでよく覚えていないけれど、「通行止め」の箇所があって工事をしていた。道に交通整理をする人が立っていて、「通れますか?」と、一応訊いたら、「今は通れます。」とのことだった。

15:53  「だんじり岩」のあるところ。お大師様が空腹のあまりじだんだを踏んで空腹をしのいだ、とあった。その岩に登ってみたらその足跡らしきものがあった。

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16:05 鶸田峠付近 「四国四十度」 「菅生山まで三十三丁」と読めた。ここからやっと下りになる。

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ここから電池切れで写真がない。ここから約30分、久万のバス停まで急いだ。

バス停には5時過ぎには着いた。

17:42発のバスに乗って松山駅には、予定時刻より大分遅れて19:15頃着いた。夫が迎えにきてくれていた。私に電話をしたが、電池切れだったので通じなかったらしい。ごめんね。

                             終わり

4月のお遍路の記録がまだ1日残っているのに、5月に行くことを決め、宿も予約した。

5月も下旬なので暑いかもしれないし、そろそろ雨が多くなっているかもしれないけど、やっぱり行く。

今度は1週間。これがぎりぎりでこれ以上は日にちが取れない。

4月の続きで、久万高原町の44番大宝寺から62番宝寿寺あたりまで。

宿は大体予定通り取れたが、1箇所、横峰寺へ上がる前に泊まりたかった「湯の里小町温泉しこくや」が満室で取れなかった。で、「ビジネス旅館小松」の連泊をお願いした。荷物は預かってもらえるだろうから、それはよかった。

横峰寺へは、今回は湯浪の道を通ってみたかったので、「しこくや」が都合がよかったのだが、満室では仕方ない。生木地蔵から大頭まで行って、小松の宿まで5キロくらいあるが、歩けなかったらタクシーにでも乗ろう。

中3日目の宿は家になる。

お遍路のことさえ考えていたら私は幸せだ。



4月7日(木) 雨  約30キロ (49606歩)


*宇和パークホテルから鳥坂峠を初めて通り、十夜ヶ橋に参拝し、内子の宿までの約30キロを歩いた。前夜、雨も降っていたし、今日は雨の予報だったが、鳥坂峠は行く、と決めていた。朝宿を出る時は雨は止んでいて、鳥坂峠の時も雨が降っていなくて大丈夫だった。本格的な雨になったのは午後遅くからだった。

5:30 起きる。

6:45 朝食。バイキング。しっかり食べる。夕食の時の人といっしょ。今日はお二人とも内子まで。おひとりは私と同じ民宿シャロン、もうひとかたは松乃屋旅館だったかな。

7:40 部屋からしっかり雨具を着けて出発するも、雨は降っていないみたい。30分も歩いたら暑くなってきたので、ポンチョを脱いだ。
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8:34 国道と生活道路を出たり入ったりしながら歩く。遍路墓や遍路石があるので昔はこの道が通られていたのだろう。

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8:47  「菅生山へ十八里、明石寺へ二里十丁、左、西、八幡浜へ三里」と読めた。菅生山は大宝寺のこと?あちこちでこの菅生山というのを見かけた。

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8:58 風が強い。でも、斜めだけど追い風なので楽チン。笠の紐をしっかり結びなおす。遠くの鯉幟が風で暴れまくっている。

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9:13 国道沿いの遍路小屋。ここまで宿から約6,5キロ、約1時間半で来ているからまあまあかな。朝は元気がいい。すぐ後に、宿でいっしょだった人が来られたが、休まずに行かれた。私はここで20分ほど休憩していく。

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9:33 気が付かなかったがこの休憩所のすぐ裏が鳥坂峠への分岐点だった。前回2回ともトンネルを行っていて、今回鳥坂峠を初めて行くのでわくわくする。

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9:47 舗装道を10分くらい行った時に、道が二手に分かれていた。右手の遠くが多分トンネルなので、右手に行くのだろうとは思ったが、分からないので、丁度民家があって外に人がおられたので、訊いてみた。 

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やはり右に行くので合っていた。このすぐ向こう側に登り口があった。すぐに休憩所があり、時々ゴミなどの清掃をされていると聞いた。そして番所跡と旧家があるので見ていくといいと教えてくださった。

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9:58 すぐに遍路道に入る。
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10:17 見晴らしのいいところ。
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10:27 この案内板を見て思い出した。daboさんのブログにこの「日天社」が紹介されているのを。是非見ていかなくては。

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その「日天社」まで600メートルとあったが、なかなかないので見落としてしまったのかと思っていたら、何か上の方に案内がありそうだ。良かった!

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前に小屋のようなものがあって、その向こうに小さなお社のようなものが見える。

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11:01 とても静かで、時折、うぐいすや小鳥の鳴き声がするのみ。

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11:05 この舗装道にぶつかった時、「四国の道」の言うように、下のバス停に下りるのか、向こうの細い鉄柱にある赤い矢印の道標を行くのか迷っていたら、向こうから軽自動車が来た。その人は「向こうに行っても、山に入って行くだけだから、下のバス停に下りるように。」とアドバイスしてくださった。で、下におりてしまったが、向こうの道が遍路道だった。

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11:19 当然のことだけど、トンネルの出口に出た。国道は歩きたくない。やはり道標の通り行けばよかったと思いながら歩いていたら、向こうから逆打ちのお遍路さん。挨拶だけかわす。

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11:22 すぐにこの「遍路道」の立て札を発見。お~!救いがあった。当然、入って行く。

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この赤いリボンが導いてくれた。何箇所か迷いやすいところに結び付けてあった。
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11:55 札掛大師堂 誰もお寺を守る人がないようで、荒れていた。写真も撮ったが載せるには忍びない。

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12:02 遍路石 「菅生山へ十二里」と読める。
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すぐに国道に出る。地図上では国道に出たところでまた、出石寺の方に行く遍路道があるようになっているが、探したが見つけられなかった。大方の人は出石寺へは大洲から行くのだろうか?

12:16  ポケットパークで休憩していく。ここにはトイレがある。

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休んでいたら、車を駐車している人が、「これ、見本ですが、、。」と黒酢をお接待してくださった。これはありがたい。疲れが取れる。早速1本いただいた。

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12:35 出発 お昼になっているが、朝バイキングでいっぱい食べたせいかあまりお腹は空いていない。お遍路で歩いている時よりも家で何もせずにいる時の方がむしろお腹は空く。


国道を行く。高速道路の下あたりの生活道路に入ったところぐらいで、民家の方が「最初の信号を左に行ったらいいよ。」と声を掛けてくださった。ずっと川沿いの道を行く。そして信号を左に行く。

13:40 橋の上から大洲城をのぞむ。

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大洲の町を抜けてずっと国道を行く。

14:05 コンビニがあったのでお昼にする。お結びと熱いお茶。いすとテーブルがあるので助かる。

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15:01 十夜ヶ橋  濡れていないようなベンチにザックを降ろし、お参りする。納経もしてもらう。

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この橋の下で寝ておられるお大師さん。

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新谷の町に入った頃から雨がポツポツし始めたので、民家の軒先を借りてポンチョを着る。

16:10 この辺りで急に雨脚が強くなって土砂降りになる。通り雨というのだろうかほんの数分だったと思うが民家の駐車場のようなところで雨宿りさせてもらう。

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16:30 神南堂休憩所 ザックを下ろさないでそのままで少し休ませていただくことにする。中で休んでいる人があった。お遍路さんではないようだ。「風邪を引かんようにな。」と声を掛けてくださった。内子の宿まであと5~6キロある。あまりゆっくりもできない。
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17:01 五十崎駅近くのこの辺りから遍路道に入っていく。結構道がぬかるんでいたのでそのまま国道を行ってもよかったかも。

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白鳥はいたが黒鳥は見当たらなかった。前回だったか、この池の黒鳥と白鳥は仲が悪いと聞いていた。
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8ヶ月の女の子、サルサちゃん。柴犬はやっぱりかわいい。

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内子の町に入って、宿に着いたのはもう6時頃になっていた。レストランの上が宿になっている。

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女将さんの案内でポンチョを玄関のところに掛けておく。すでに3着のカッパがハンガーに掛けられていた。部屋を濡れたもので汚さないように濡れたソックスや手袋を新聞紙にくるんだりして部屋に入る。

洗濯は、明日は家に帰るのでしなくてもいいが、やっぱり濡れたものをそのまま持って帰るのは厭なのでお願いすることにした。

お風呂をいただいて、下のレストランで食事。もうすでにお遍路さんお二人は食事も済まれていた。お一方は宇和パークでいっしょだった方。内子座に寄って見学して4時には着いていたそうだ。すごいな。私が遅すぎるのかな。明日は古岩屋荘だそうだ。ここからだと40キロくらいはある?久万で宿が取れないので仕方がないのだそうだ。私が予約をしようとした時、すでに古岩屋荘も満室だった。

「おまかせ定食」に生ビールをいただく。ご主人さんがレストランをやっておられて、息子さんが料理を作られているようだ。おいしくいただいた。

明日、朝食も6時にはしてくださるようだが、私は早めに出発したいので朝食はいただかないことにして、前のコンビニで買っておく。

上にあがったら洗濯ができて、きれいにたたんで置いてあった。みなさん、お休みが早いようだ。8時頃には灯りが消えていた。私も早々に休むことにした。


今年、初めて咲いたバラ。塀際に植えてある。もうこの家と同じ歳、25歳になる。最初植えた枝は枯れて、脇から出た芽から咲いたもの。これもかなり歳とってきた。ほとんど手入れしていないのに咲いてくれる。

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