2014年01月

 
今日は20日の法話の日なので石手寺へ行ってきた。きょうは古札焼きがある。
 
入り口のところで、白装束のお遍路さんが托鉢をされていた。かなり年配の方とお見受けした。そばに大きな荷物を置いておられた。
 
法螺貝の音と共にお坊様方が入ってこられる。
 
幼稚園児さんの歌から始まる。
 
加藤ご住職さまの法話  いろいろ深いお話をされたのだが、集中力の欠如と理解力のなさで残念ながら、きちんと伝えられない。弘法大使四国遍路開創1200年ということで衛門三郎のお話。「再生」。三重の塔にはお釈迦様の像と両脇には文殊菩薩さまと普賢菩薩さまの像がある。普賢菩薩様は日常の生活での生き方のようなものを教えてくださる。毎日の生活の中で、善いことをして悪いことをしないようにする」という、その善いことと悪いこととはどういうことか、どうすることが善いことなのか、それは難しいというようなことを具体的な例でお話してくださった。苦しみの中から本当の生き方を選んでいく、苦しみの中から生きる力を得ていく、というようなお話だったかな。
 
読経。
 
 
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古札に火が入る、お焚き上げ。かなりの数のお札。後からどんどんお札が入れられていく。
 
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背中をお経本で叩いて(撫でて)邪気を祓ってもらう。何だか効いたようで、後ですっきりしたような気がした。
 
白衣を着たご婦人方の御詠歌もとてもよかった。
 
何をするか、これは未だに見つかっていない。何をしていいのか分からない。ただ、毎日の日常の中で、心のありようを見つめていき、少しでも気づきがあればいいなと思う。心の塵を払って、少しでも穏やかな気持ちで感謝して生きていければいいなと思う。それだけなんだけど、これって結構難しい。夫に言わせれば、私はいつも夫を怒っているらしい。
 
 
 
 
 
 
 

 
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牡蠣飯を作った。広島の牡蠣うち場の近くで育った母はよく牡蠣を使った料理を作ってくれた。牡蠣飯は母の味。
 
母はお茶碗によそった牡蠣飯をそのまま1枚の青のりの上に返しておおきなお結びを作ってくれた。それをほおばって食べたものだ。
 
その他、牡蠣の土手焼き、カキフライ、など牡蠣は冬には欠かせない食べ物だった。
 
牡蠣飯に豚汁と、かぶとにんじんの糠漬けが今日の夕ご飯。

 
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近くのクリーニング屋さんに洗濯物を持っていった。晴れてはいるが風がとても冷たい。
 
空き地にナズナとホトケノザが咲いていた。春は遠いけれど、確実に近づいているのだろう。
 
野の花が大好きだったあいちゃんにと摘んできた。
 
 
 

 
鏡開きは終わったけれど、おぜんざいが食べたくなって久しぶりに作ってみた。
 
夫も食べたいというので、小豆を買ってきて作ってみた。やっぱり缶詰よりも豆から炊きたい。
 
圧力鍋で作ったらあっという間にできた。
 
丁度、テニスから帰ってきた夫と「おいしいね。」と言いながら食べた。
 
子どもの頃、冬になると母がよく、おぜんざいと酒かすから作った甘酒を作ってくれたものだ。
 
もう食べてしまったので画像がない。また明日食べる時に写真を撮ろう。小豆一袋で結構できてしまうんだよね。これでまた太ってしまうーー。
 
今日撮った写真。おもちが少し焦げてしまった。
 
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ハーブティーを淹れた。お湯を注ぐ時、香りがひろがる。
 
ドライにしていた、ドクダミ、レモンバーム、
庭から摘んできたフレシュのエルダーフラワーの葉、レモングラス、レモンバーム、アップルミント、スペアミント、ペパーミント、ラベンダーミント、雑種のミント。
 
それにアールグレイの紅茶と桑の葉茶
 
 
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気分がリフレッシュされる。あいちゃんもよかったら飲みに来ない?
あいちゃんといっしょにハーブティー、飲んだことあるよね。
 
この家に引っ越してきて、庭に何か植えようと言った時、あいちゃんはレモンンバームを植えて、それがいっぱい増えたことがあるよね。まだ小学校3年だったね。今のレモンバームはまた買ってきたものだけど、これもいっぱい増えた。
 
今日はお天気がいいので何となく気分もいい。施設にいる叔母とランチに出かける(これもお付き合い)以外は予定がないのでゆっくり本でも読もう。そして呼吸法。
 
先ほど、5ヶ月半になる孫ともスカイプできた。少しだけ座れるようになっている。○○く~ん、と呼びかけると、声に反応してにこっと笑ってくれる。これで十分ありがたい。幸せ。
 
天使のメルマガで、「もしお金も時間も充分あり、全くのフリーだったらあなたは何をしますか?」というのがあった。何がしたいだろう?
 
悲しみの底から這い出して、「他の人のために生きよう」と生きる理由を探して、一歩を踏み出そうとした。それも自分のためだったけど、それはそれでいい。
 
元気になるために、お遍路に出て、そしていろんな人に出会い、心を開くことができた。歩けるうちは、お遍路に出て、エネルギーをもらいたいと思う。
 
心の拠り所、生きる拠り所は模索中。取り合えず、「いま、ここ」の実践。しっかり、叔母とランチしてきます。
 
 

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