2012年03月

3月5日 (月) 小雨 のち くもり
 
朝6時にお勤めがあるので、5時過ぎには起きる。
身支度をして、朝食後にはすぐ出発できるようにしておく。
部屋に干していた濡れた手袋などが乾いていてうれしい。
 
今日はお昼頃までに、できたら井戸寺まで回って、家に帰る予定だ。
もう2~3日延長することもできるが、洗濯もしていないし、やはり一旦家に帰ることにした。
 
お勤めの法話がすごかった。感動した。
「やれる。これでいく。行ける!」と信じて、前に進んでいく。
今の御住職さまが70歳になった時に莫大な借金も返せるそうだ。
そして今アメリカの妹さんご夫婦さんのところで勉学に励んでおられる優秀な最愛の息子さんがいずれ後を継がれる。とても美しい人だ。
 
「悩み、苦しみは全部ここに置いていって幸せになてください。」ということばにご苦労をされてきた御住職さまだけに説得力があった。ここにおいてという時お大師さまの方をさされた。
 
朝食。暖かいご飯。たくさんあったがこれもおいしく完食。
 
食後、ご住職さんが食堂に来てくださった。
Mさんは毎年来られるので親しくなられている。
お話のお礼を言ったらハグをしてくださった。
 
宿坊を後にしてお寺にお参り。少し雨が降っているような感じなので念のためカッパを着る。
 
お寺はすぐ隣。外国人の中年のご夫婦がお参りされて休んでおられた。目が合うとにこっと会釈をして、カッパをきていた私たちに「アメ、フッテナイヨ。」と声をかけてくれた。とてもフレンドリーだ。
 
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後で納経所の人に聞いたのだが、オランダから来ていて、今回3回目。以前学生を連れてきていたそうだ。大学の先生らしい。
 
次の札所に向かおうとしていたらMさんたちがバス停で待っておられるところだった。私たちはどうやら逆の方向に向かっていたらしくここでもまた助けられた。
 
次は14番常楽寺だ。のどかな田園風景の中を進む。雨はほんの少しの霧雨。
自転車遍路の人が追い抜いていく。「雨ばっかりですね~。」と言いながら。
 
一の宮橋を渡る。小さな池があって鴨が3~4羽いた。まもなく常楽寺。地面が木の化石のような特徴があるお寺だ。
 
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15番、国分寺。
 
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道路沿いに行く。16番、観音寺。
 
小さな町に出て線路を渡り住宅街を行く。マルヨシがある。小さなスーパーもある。
 
買い物に来ていた同年輩の女性の人が声をかけてくれる。
去年、バスでお遍路をしたそうだ。
 
17番、井戸寺。
 
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お参りをすませて山門を出たところで、私たちのような年代のご夫婦の歩き遍路の方に声をかけた。前のお寺でお二人で般若心経をあげられていた。千葉からきたそうだ。これから電車なども使いながら「通し」でいかれるそうだ。
 
来た道を引き返して府中駅へと向かう。お昼は徳島駅でとることにする。
府中駅から11分で徳島駅に着く。
 
駅ビルのファミレスで遅い昼食にする。バスの時間まで2時間ある。
お遍路さんには200円のドリンクバーがサービスになるというカードをもらってうれしかった。甘い飲み物をいっぱいおかわりした。抹茶ラテ、カラメル何とか、カプチーノなど。
 
高速バスに乗って松山へ。15時40分発。少し遅れて18時55分着。
駅でおにぎりを買って、タクシーで家に向かう。
 
これで1回目、5泊6日のお遍路を終え、無事に家に着きました。
ふ~、疲れた~。
 
この後2~3日はぼーっとして、その後じわじわ~と疲れが出てきたのであった。
 
そうそう、おまけがひとつ、体重が1キロ、増えていた。普通、みんなお遍路に出ると痩せるそうなのだが。しっかり食べたからね、しかたないか。その後もしっかり食べるくせがついてさらに1キロ増えてしまった。

3月4日 (日)
 
5時10分、起床。隣の部屋で携帯の目覚ましだろうか「予定の時間です。」とか言っている。実は私は夜、寝ぼけて、起きようとして電気を点けてしまった。夫に「まだ1時半でしょうが。なにしよるん?」と怒られてしまった。
 
6時からお勤め。白衣を着て、数珠とお経本を持って、2階にある本堂に行く。Mさんはちゃんとお線香とろうそくに火をつけ、納め札をいれ、いつもの参拝と同じようにされたいた。
 
後のご住職さまのお話がすばらしかった。「帰依仏、帰依法、帰依僧」の「僧」について。
僧は生きとし生けるものすべてをさす。自分を大切にすることが相手を大切にすることにつながる。というようお話だったように思う。とても分かりやすくお話してくださった。
 
部屋に帰ると暖かい食事が部屋にもってきてあった。
 
8時に宿坊、出発。少し雨が降っているのでカッパを着る。
すぐに本堂でお参りをするのでまた脱ぐことになる。
小雨の中をお掃除している人がある。納経所では別の人がおられる。
何か全体にすがすがしい感じのするお寺だった。
 
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8時半、焼山寺、出発。さあ長距離の下山が始まる。カッパを着て降りていると、向こうからMさんたちが降りてこられた。どうやら私たちは降り口を間違えていたらしい。そこからいっしょに降りていく。
 
すぐに杖杉庵に着く。大きな空海さんがいらっしゃる。ご挨拶だけしてさっと通りすぎることにする。第13番札所、大日寺の宿坊に5時までに着きたい。Mさんたちは別のルートでバスで来たので昨日のうちにもうお参りをすまされたらしい。足の弱いHさんに合わせていると言われていた。Mさん自身も今年が体調があまりよくないと言われていた。昨年は歩き遍路始めてのHさんが雪の焼山寺越えが雪で大変だったらしい。
 
梅ノ木がいっぱい植えてある。毎年この時期にお遍路をされているMさんによれば、いつもは梅が咲いているけど、去年、今年は、寒さで遅いらしい。
 
10時、鍋岩着。直売所やら休憩所やらある。お店の横の長いすを借りて休憩させてもらうことにする。Mさんたちはここからバスで行かれるらしい。バスの時間まで大分あると困っていたらお店の人が徳島バスが出ているところまで送ってくれることになったらしい。本当にこのあたりの人は親切だ。20分ほど、休憩。雨が結構降ってきた。
 
Mさんたちと分かれて歩き出していたら家から奥さんが走ってきて、「これ。雨の中を歩いているから。」と透明袋に入った干し芋をくださった。これがお接待なのかと感激してありがたくいただく。こころから嬉しかった。
 
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夫が膝を痛めていたので、山道ではなく遠回りになるが舗装してある道を行くことにした。しかし、どうやら道を間違えて、人の家に突き当たってしまった。そういえば親切にも道しるべに「ここは遍路路ではない。」と書いてあったのに無視をしてしまったのがよくなかった。
 
うろうろしていると、人の気配を感じてか、家の中から手ぬぐいで鉢巻をしたおじいさんが出てこられた。地図を出して道を訊く。やっぱり山道を歩かざるを得ないようだ。引き返して山道を登って行く。夫の膝も何とか耐えてくれている。
 
舗装してある道に出てやれやれと思ったらちょうどいい具合に庵があるではないか。
ここで昼食をとることにした。丁度12時。
軒があって雨にあたらず座って食べれるのは本当にありがたい。
焼山寺で分けていただいたパンと途中いただいた干し芋を食べる。
パンも干し芋もとてもおいしかった。
道をはさんで前に六部地蔵さんがいらっしゃる。
 
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さあ元気を出して出発。霧のような雨が顔にあたって冷たい。
道の脇はずっと梅ノ木だ。咲いていたら随分きれいだだろうと思いながら通りすぎる。川沿いの道を歩いていく。鮎食川だ。”あくいがわ”と読むらしい。川と岩の感じがとてもよい。座って休憩していたら、下から例の自転車お遍路の二人だ。
 
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道の下にトイレがあったので貸していただく。
 
橋をわたる。しばらくいくと休憩所がある。とてもきれいなトイレもある。
中学校の校庭の一角にあり、中学の生徒さんが掃除をしてくれているということだ。今日は日曜日なので生徒さんの姿はなく静かだ。
 
行者野橋で休憩。4時20分。大日寺さんに電話を入れる。1時間以上はかかりそうだ。歩き始めても気持ちばかりが先にたって歩みがのろい。疲れた。足が進まない。気力で足を前に出す。
 
やっと大日寺宿坊に着く。大日寺は川沿いにある。5時半。かっぱ、手袋、びしょびしょだ。先に着いている人のカッパが玄関脇のハンガーにかかっている。出迎えてくれた宿坊の人がハンガーにかけるのを手伝ってくださる。玄関を上がろうとしてももう足が思うように動かない。自分の足みたいでない。
 
食事が6時からなのでお風呂は食事の後に入らせていただくことにする。
 
部屋は玄関から割りと近い1階でトイレにも近い。服を掛けれるものがありハンガーもたくさんある。少々雨で湿気ているので服などを掛けれて乾かせられるのはありがたい。部屋にはテレビ、エアコンもあり小テーブルもある。部屋に入るとほっとする。
 
6時半に食堂に行く。大きな食堂。Mさんたちと同じテーブルに付く。宿泊客は私たち以外に中高年のご夫婦、女性5人グループ。ご夫婦以外は多分焼山寺でいっしょだった方たちだ。全部朱塗りの器。お刺身もある。とてもおいしくいただいて完食。
 
食事が終わってお風呂をいただいたが少しぬるかったのが残念。熱いお湯を足せばいいのだが遠慮した。でも一人でゆっくり入れて幸せ。疲れた体にありがたい。
 
9時頃には就寝。
 
 

3月3日 (土) くもり
 
朝ごはんを6時半にいただく。食堂にはここのご主人、つまり、夕べのむすこさんのおとうさんが朝の当番だということだ。「ワークシェアリング」なのだそうだ。おもしろいお父さんだ。お接待だといって昼食用のおにぎりとお茶を持たせてもらう。まだほんわかと暖かい。女将さん、つまり、ご主人の奥さんの手書きの手紙が添えてある。台所におられる女将さんにお礼を言って、7時半出発。女将さんが見送ってくださる。玄関を出て「南無大使遍照金剛」と手を合わせた。
 
第11番札所、藤井寺に行って、今日はいよいよ、難所といわれる焼山寺越えだ。
 
8時半藤井寺に到着。参門前にトイレがあり、そこで少し休憩。お参りをすます。大分慣れてきて要領よくなってきた。
 
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イタリア人だという頭を剃っている青年が焼山寺への登り口を探していたのでいっしょにそこまで行った。ザックから、ある婦人からもらったという滋養強壮ドリンクをだして、「これは何だ?アルコールは入ってないか?」とかたずねてきたので、「大丈夫。飲んだら元気がでるよ。」と言っておいた。きっと日本語は読めない。道しるべを頼りに歩いているのだろう。私たちをさっさと追い抜いていった。
 
9時、藤井寺出発。
 
聞きしに勝る、道なき道をあがっていく。焼山寺への登りの道だけで6箇所遍路ころがしがあるらしい。「遍路ころがし1/6」の札が登りはじめてすぐにある。
 
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自動車の通る道にぶつかったところにベンチが置いてあったので、そこで休憩することにする。ボランティアのおじさんたちが下草などを刈って道をきれいにしておられて休憩されているところだった。
 
バナナとソイジョイを食べる。これで夫のザックが大分、軽くなった。
 
長戸庵で、少し休憩、女性の小用のみのトイレがあって拝借した。
ボランティアの人が作ってくれたとあったが、助かる。
 
上から身軽に下山してくる男性二人に出会った。別々だが、お遍路さんではないようだ。何かのトレーニング?「がんばってね。」と声を掛けてくれる。
 
いっぱいのさまざまな道しるべや札があって、励ましてくれる。それを読みながら上がっていく。  
 
夫がカメラのバッテリーが少なくなったとか言っている。 え~!もう?! 充電器は重いからと持ってこなかった。荷物はなるだけ軽い方がいいといわれていたのでそうしたが充電器は持ってくるべきだった。携帯のカメラがあるのでそちらでとってもいい。でも、登っていくだけで大変なので写真を撮る余裕はない。
 
12時半、柳水庵、到着。庵があって、かつてはここに泊まることもできたらしいが今は戸は閉じてあった。ここで昼食とする。さくら旅館でいただいたおにぎりがとてもおいしい。バナナも食べる。湧き水が引いてある。とてもおいしい水だ。夏には多くのお遍路さんののどをうるわせてくれるに違いない。
 
一人の男性が休んでおられた。後から一人の腰に持鈴をつけた女性が上ってきて話しかけてくれた。徳島の人で、今日はここで、また元の道を戻っていくと話していた。お遍路をしたことがあって、私たちが愛媛から来たといったら、愛媛の道も歩いたが1日誰にも会わないことがあったとか言っていた。そして地図をみながらいろいろアドバイスしてくれた。
 
下ってまた上がっていくと浄蓮庵だ。階段の上で空海さんが出迎えてくださる。
「よく来たね。」と迎えて下さっているようだった。ここで少し休憩。
 
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焼山寺までまだ4.1キロもある!今日中に着けるんかいな。気が遠くなる。
夫が膝を痛いと言っている。
杉林をどんどんどんどん下って行く。せっかく上ってきたのに下まで降りてしまうのではないかと心配する程下っていく。
蕾のついた杉の小枝がいっぱい落ちている。まだあまり花粉は飛んでいないようだが、花粉症の私としては、これが開花時期と重なっていたらと思うとぞっとする。
 
また上りになって、やっと焼山寺らしきものが見えてきてほっとした。
参道にりっぱな十三仏の像がならんでおり、両脇の灯篭には灯がともっている。
とてもきれいな光景だ。山門に着いた時、丁度5時の鐘がなった。
藤井寺を9時に出発して5時に着いたので登山に8時間かかたことになる。
 
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いわゆる「弱い足」ということになる。普通6時間くらいらしいので、途中休憩が多かったにしても弱足を認めざるを得ない。途中で夫がひざを痛めてしまって心配した。
もうこういう道は歩けないとか言う。
 
お参りは明日することにして宿坊に入る。
 
部屋は「菩薩」の間。隣とはふすまでしきられている。ストーブとこたつがあり、感激。
お風呂をいただく。まだ入る人がありそうなので、夫といっしょに入って時間を節約する。二人、ゆっくり入れた。Mさんたちもみえた。今日の宿泊は私たち二人、Mさんたち二人、隣の東京からみえたご夫婦、あと女性の5人グループの計11人。
 
夕飯は部屋まで持ってきてくださる。御住職の奥さんひとりですべてまかなっておられるらしい。ごまどうふなどの精進料理がとてもおいしい。心がこもっている。こたつでいただく。お酒もいただいた。熱燗で。
 
こたつで休んでいたら、Mさんが、膝を痛めた夫を心配してご自分が持たれていた未使用の消炎剤を持ってきてくださった。でも夫は、筋肉ではなく関節が悪いのでと辞退していた。貴重な品なので使わないのだったらお返しした方がいいかもしれない。
 
明日のおにぎりをきいてみたら、おにぎりはできないけどパンが用意してあるということでそれを分けていただいた。Mさんは、これが楽しみなのよ、と言っておられた。
 
明日の朝6時にお勤めがあるので、というよりも疲れているので早々にふとんを敷いて寝ることにする。ふとん上下も毛布も一人に2枚ずつ用意されている。ありがたい。全部使って8時半就寝。
 
 
 
 
 

3月2日 (金) 霧雨  のち くもり
 
5時過ぎ、起床。身支度、ロープに吊っていた洗濯物をたたみ、パッキング。
今日は長距離を歩く予定なので、足の裏などにテーピングする。
 
6時半、食堂に下りていったら、団体さんはもう食事を始められている。座るとすぐに蕎麦の実の入ったたっぷりのお吸い物がはこばれてきた。朝食はたっぷりおいしくいただき、完食。Mさんたちは今日は徳島駅の近くで宿をとられるという。
 
7時半、安楽寺宿坊、出発。玄関のところで男性お遍路さんと少しお話する。松本からの今回、5年ぶり2回目の76歳。とても若くみえる。前回はいっぱい荷物を持ってきて荷物を送り返した、今回はなるだけ少なくしたとか。普段登山をしているとか。
 
少し雨が降っているのでポンチョのカッパを着て、足にもカッパのズボンを履く。菅笠にもカバーをかける。初めてカッパを着る。
 
まもなく十楽寺に着く。3人の女性グループの方がやっぱりカッパを着て前を歩いている。傘をさしている人もいる。杖を置き、まず、笠を脱ぎ、カッパを脱ぎ、ザックを降ろす。カッパはポンチョ式で前が全開ではないので、笠を脱がないとカッパも脱げない。それからお参り。
 
8時半、十楽寺出発。次の8番札所、熊谷寺まで4,2キロ。高速道路の下の道を行っていたら道しるべが見当たらないことに気づき地図で確認したらもう一本南の道がお遍路道とわかった。角を曲がって歩いていたらまた道しるべが見つかるようになった。道しるべの通り角を曲がると門が見えた。仁王門だ。道を挟んでこんどは山門があった。9時40分、熊谷時、到着。本堂は階段を上がったところにある。さらに階段を登って太子堂。
 
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10時25分、熊谷寺を出発。雨は止んでいるが風がものすごく強い。まわりに家がちらほらある田んぼの広がる道を歩いていく。広々したところで遠くに山が見える。見晴らしがいい。ほとんど人にあわないし、お遍路さんも見かけない。その分風がもろにあたる菅笠の紐をしっかりと結び、広々と田んぼの広がるところを風にあおられながら歩く。菅笠は、夫が補強をしてくれて、紐も太いしっかりしたものにつけかえてくれていたので、よかった。
 
遠くにこんもりと緑の中にそれらしきお寺が見える。11時、第9番札所、法輪寺に到着。
お参りしていたらMさんとHさんに出会う。おまんじゅうをいただく。
 
昼食をどこかでと納経所の人に聞いてみたら、うどんやさんが2軒あったが今はやっていないと言われる。いただいたおまんじゅうを食べて、次の札所の近くで昼食をとることにする。
 
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11時45分、法輪寺出発。次の切幡寺まで3,8キロ。
 
12時50分、第10番札所、切幡寺着。
 
登り口の細い道の両脇にはお店が並んでいる。Mさんに聞いていたとおり、うどんやさんで荷物を置かせてもらう。「どうぞ、ご自由に荷物を置いてください」とある。先客のザックがいくつか置いてある。先にお参りをすますことにするが、一声掛けていこうと戸を開けてみると、安楽寺宿坊の玄関でいっしょになったM市の男性と3人グループの女性が中に座っているのが見えた。M市の男性は76歳で、5年前に歩き遍路をして今回2度目だそうだ。
 
階段が333段あると道しるべにある。ずーっと上まで階段。
改めて荷物をおかせてもらってありがたかったと思った。ザックを背負っての登りはきつい。ふーふー言いながら上っていく。
 
はたきり観音様が美しかった。
 
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13時25分 切幡寺を後にする。
 
下のうどん屋さんで、手打ちきつねうどんをいだく。
暖かいのがうれしく、実際おいしかった。おばさんとおじさんの暖かさが伝わってきた。
 
これで元気を得て次の11番札所藤井寺へと向かう。
9、3キロ、吉野川の潜水橋を通るのが楽しみだ。
 
うどんやさんを14時に出発して、今日の宿所、さくら旅館に5時までには入りたい。
藤井寺からさくら旅館までは距離があるので直接さくら旅館に行って、藤井寺には明日お参りすることにする。
 
45分歩いたところに休憩所があったので5分ほど休ませてもらう。
何かの製作所の一角のようなところだが人はみあたらない。
 
潜水橋の川島橋を渡りたいと地図を見ながら探していたら、車に乗っていた人が声を掛けてくれて教えてくれた。
 
まもなく土手にぶつかる。吉野川の土手だ。
 
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吉野川の河川敷には菜の花畑が広がる。でもまだつぼみで黄色くない。おいしそうという感じだ。花が咲くときっときれいだろうなと思いながら通っていく。
 
潜水橋では細い橋を車がかなりのスピードで通り抜けていく。思ったより長い。
二つあった。15時50分、2番目の橋を渡ったところの土手にお遍路さん用の休憩所があって休ませてもらうことにした。かなり歩いたので足の指のところが少し痛い。
20分休ませてもらって、ソイジョイ、チョコレートを食べる。
 
16時10分、出発。ここからは町の中に入っていく。鴨島の町だ。道路の歩道を通っていく。スーパーやら、回転寿司、コンビニ、ドラッグストア、町にあるものは何でもある、よく見る風景。
 
明日の焼山寺への登りに備えてスーパーで何か買っていくことにする。
荷物は外のベンチに置いていく。夫は荷物を見ておくことにした。お遍路の格好をして普通のスーパーに入るのはなんか抵抗がある。
 
バナナとソイジョイ、飴、チョコレートなどを買う。さlくら旅館には17時20分に着いた。
今日は約21キロ歩いたことになる。こんなに歩いたのは生まれて初めてのことだ。しかも重いザックを背負って。
 
探しながら行った。普通の家のようなかんじ。玄関に入ったら背の高い若い男性が迎えてくれた。あとでその旅館の息子さんだtわかる。1階の部屋に案内してくださる。床の間があり割りと広い。ストーブで部屋が温められていた。
 
お風呂をいただく。お風呂は疲れを癒し、体が温まりほっとする。
 
食堂に行くと、L さんとM市からの男性がいっしょに食事をされていた。この食堂は趣味悠々やウォカーズに使われていたがまったくその通りだった。Lさんはもう藤井寺にお参りして来たけれども、疲れてしまってここまでタクシーできたとか。
 
食事は、豚味噌鍋、えびと野菜のフライ、などごちそうだった。
その後4人で話がはずんだ。
 
mixiに日記を書いて9寺に就寝。 
 
 
 

3月1日 (木) くもり時々晴れ 2日目
 
携帯のアラームを6時10分にしていたが、早く目が覚めていて、5時過ぎくらいから部屋の外では音がしていた。
 
食事が済んだらすぐ出かけられるよう身支度、洗面、パッキング、ふとんたたみなどすべて済ませておく。下に食事に降りていったらすでに他の方はほとんど食事を済ませておられる。
 
朝から野菜たっぷりの栄養満点のごはんだ。夫はごはんのおかわりなどをしている。
ご飯が用意されているというのは主婦にとってはとてもうれしい。
 
8時15分、宿を出発。Lさんはもうとうに出ておられた。
さあ、今日から荷物を背負っての本格的な歩き遍路がはじまる。
 
霊山寺、極楽寺は通過して、第3番札所、金泉寺へと向かう。約4キロ。道の両脇には田んぼが広がっている。郵便局があったのでATMでお金を出そうとしたがまだ9時になっていなかったのでだめだった。
 
 
 
9時05分金泉寺着。早朝とはいえないが朝早くのお寺はすがすがしくて気持ちがいい。
 
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長椅子のようなところにまずザックを降ろす。
 
若い女の子が一人で歩き遍路をしている。一人でお経を詠んでいた。
この女の子は今日宿泊予定の安楽寺でまた会うことになる。
 
参拝を済ませて9時50分に出発。45分かかっている。ひとつのお寺で平均30分くらいらしいのでまだ時間がかかっている。お経をお経本の通り丁寧に詠んでいる。次から少し早く詠むようにする。
 
 
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次の札所第4番大日寺へと向かう。5キロの道のりとなる。
 
途中川べりにベンチがあったのでザックを降ろして休憩する。
チョコレートと水を飲む。
 
公園の脇にお遍路さん用の休憩所があったので寄っていくことにする。
屋根があるところで荷物が降ろせて腰をおろして休めるというのはうれしい。
ノートがあっていろんな人が書き込んでいっている。
座布団もあったので寒くないときはここで野宿もできるかもしれない。
 
農道のようなところや、これぞ遍路路というような竹やぶのようなところを通っていく。道しるべを探しながら行く。いっぱいお遍路マークや矢印やらいろんな種類の道しるべが電柱やら道のガードなどさまざまのところにある。
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途中、ベンチがあるところで荷物を降ろし、休憩しながら行く。
 
愛染院は素通りすることにする。
 
出発して2時間、11時50分、やっと大日寺に到着。
 
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大日寺を12時15分出発。大分要領よくなって25分しかかかっていない。
 
来た道を下っていたら、車遍路のご夫婦がこれからお参りのようで、会釈をすると、「歩きですか?いいですね。」と声を掛けてくれた。
 
次の札所第15番地蔵寺まで行って、昼食をとることにした。
地蔵寺まで2キロ。
 
五百羅漢も残念ながら素通りする。見ておきたかった気もしたが。
 
きれいに剪定された梅ノ木が両脇にある路を通って地蔵寺に着く。
今年は寒いせいかまだ梅は蕾だ。
 
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12時50分、地蔵寺着。
 
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納経所で食事のできるところをたずねたら、定食屋さん、お好み焼きやさん、ローソンを教えてくれた。
 
ローソンでお弁当を買うことにしたが、正解だった。奥にはテーブル2つと椅子があり、ゆっくりと座れて落ち着いて食べることができた。私は290円のおむすび弁当。夫はカツどんを温めてもらう。食後に草もちを一個買って半分にして食べる。
草もち一個105円だが、お賽銭の小銭がなくなっていたのでおつりを10円玉でもらう。10円玉9個!
 
腹ごしらえしてトイレもすませる。コンビニはなんと便利なんだろう。ありがたかった。
丁寧にお礼を言って、次の札所に向かう。
 
次の第6番札所の宿坊に予約を入れていたので、時間的にも余裕がある。
安楽寺まで5.3キロ。
 
平坦な、舗装してある道を歩いていく。3時50分安楽寺着。
ザックはそのあたりの椅子においてお参りをすます。
 
4時半に宿坊の方に入る。宿坊のイメージがくつがえされることになる。
受付をすますが若いお坊さんがてきぱきしていて、まるでホテルのフロントのようだ。
7時からお勤めがあり、宿坊の完成のお礼に今特別にお接待をしてくれるという。
くすのきの葉つきの小枝、水に流すろうそくのセット、護摩木の入った小さな紙袋をいただく。これをお勤めの時にもっていくようになる。夫があいこの供養をお願いする。
 
部屋には女性が案内してくれる。
ドアの入り口には湯の出る小さな洗面台がある。部屋にはエアコンがありすぐに暖かくなった。鍵もついている。
 
さっそくお風呂に行く。大きなお風呂でしかも温泉が引いてあるらしい。一人でゆっくりと湯につかれば疲れもとれる。
 
売店の奥に洗濯室があって洗濯機と乾燥機があるので洗濯をすることにした。洗濯機200円。乾燥機30分、100円。2回かけたので200円。
 
無料のマッサージ機が2台ある。ふたりで座る。とても気持ちがよい。
 
6時から食事。名前のあるテーブルにつく。ここでまたMさんとHさんのお二人といっしょのテーブルになる。隣のテーブルには昨日極楽寺前で写真を撮ってくれた若い自転車のカップルが座っている。
 
後ろのテーブルにはそれぞれ個人のお遍路さんが4人座っていて、その中に金泉寺にいた女の子もいる。新潟のあるお寺の団体客の人たちも。
 
食事の前にみんなで感謝のことばを唱える。
 
ごちそうだ。海老や竹の子この天ぷらの盛り合わせ。こんにゃく、サーモンの刺身、酢味噌添え、大きな椀の吸い物には蕎麦の実がたっぷり入っている。熱々が運ばれてくる。
 
7時からお勤め。法話。宿坊の中にある本堂の中のほうを見せていただいた。
生まれた干支ごとにろうそくのついたコップを流した。とてもきれいでだった。
大きな空海さんの像がある。触ってなでる。
「はしを渡らないでください。」ということで、極楽と地獄のあいだの真ん中の橋を通って終わり。
 
2日目が終わった。部屋に入ってすぐに休む。明日は6時半の朝食なので5時に目覚ましをセットする。
 
 

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